まさしんぐWORLD2010
今回のWORLDOは、去年亡くなったまさしさんのお父様を「偲ぶ会」。
国技館の年越しコンサートの時には、お姿が見えないけれどどこかにいらっしゃるはずだと思いながら楽しんだのに、その時には亡くなっていたなんて。
ワタクシ、今回50分も遅刻をしてしまいました。
仕事の日は店に着替えを持って行き、更衣室で着替えた後、車は翌日まで駐車場に置かせてもらい、小幡の駅まで歩き(5分)大曽根まで瀬戸線で。
地下鉄に乗り換えれば、センチュリーでも市民会館でも6時までにはいけます。
今店長のお父さんが入院をされていて、睡眠不足で大変な時なので、能天気に「コンサートに行くので車置かせてください」と言えなかった。
一度家に帰り、エル絵夢にご飯を食べさせ、食べさせればウンチやオシッコをするので後片付けをし、着替えてバスで市役所へ。
そこで地下鉄に乗り換えて日比野まで行った。
会場に入ると、「もうすぐ休憩ですが、お入りになりますか?」と聞かれた。
ここは潔く休憩を待つことに。
グッズ売り場で本を一冊購入。
休憩になり、ドアが開いて人がロビーに出てくるのを掻き分けながら席を探した。
9列、23番。
こんなに遅刻をしたことがないので、hanamamaさんが電話をしてくれているところだった。
今回は通常のコンサートではないため、まさしさんの「座長挨拶」のあとは、チキンガーリックステーキと玲子さんのステージ。
チキガリはともかく、玲子さんの歌は聴きたかった。
席について、hanamamaさんからお貸ししていた本を返していただいたりプレゼントをいただいたり。
いよいよまさしさんのステージです!
オープニングは「案山子」。
中学2年の時、お父様の「戦友会」に一緒に津和野に行った時に見た風景が、「案山子」の風景だとか。
続いて「惜春」。
これはお父様がお好きだったという曲。
初めて知りました。
地味な曲ですが、まさしさんの名曲です。
優しさゆえに傷ついて
優しさゆえに傷つけて
君は振り返る弱さもなく
僕は引き止める強さもなく
ただ立ちつくせば背中合わせに
穏やかに落ちてゆく二人
なんてまあ、草食系なんでしょう…と思われるかもしれませんが、まさしさんの考え方の原点が歌われています。
「愛しすぎるのは愛さないのと同じ」というフレーズがあるのですが、根底にあるのは「アンビバレンス」。
相反する二つの思いを歌で表現した「惜春」がお好きだったお父様はAB型。
なんだか納得してしまいました。
トークは勿論全てお父様絡み。
島原の「盲目の詩人」宮崎康平さんとのお付き合いから生れた「邪馬台」。
その前に、宮崎さん作詞の「島原の子守唄」を。
以前長崎のまさしさんのご実家に遊びに行ったことがあるが、そのお家は宮崎さんのご尽力で建てられた家だと話していた。
今はそこを引き払い新しいマンションに移られたが、まさしさんが小学校時代をすごし、体を壊して東京から逃げ帰り、グレープとしてデビューするまでを知っている「実家」。
ステージトークで、その家の話が出る度、思い出すのは二階へ登る螺旋階段と不思議なシステムのトイレのことだ。
水を流す方法が分からず、二階にいる友人を声を出して呼ぶのも憚られ困っていた。
お母様はさすがに、「すずきさん、水の流し方がわからんとやろ。Kちゃん、みてきてあげんね」と友人をトイレに差し向けてくれたのだ。
彼女も最初は戸惑ったとか。
高台にあるそのお家は、最初まさしさんのお家だけだったので、夜景が見事だったのだとか。
そのうち全ての区画に家が建ち、夜景は見えなくなった。
「墓 坂 ばか」の長崎の町。
車が玄関に付けられないその家は、細い石段を登るしかなかったから、お母様のお体では長崎に帰ってもそこで過ごされるのは厳しかったと思う。
今は快適なペントハウスの便利なマンション暮らし。
わたしがお父様に最後にお目にかかったのは、そのマンションにお邪魔した時だった。
今からもう6年も前になる。
お母様がご自分のお部屋で横になっておられたので、私と友人はお母様の横でオヤツを頂いたりおしゃべりをして時間を過ごしてしまい、飛行機の時間で慌てておいとまをしたのだが、その時お父様がいらっしゃるのに初めて気がつき「こんにちは。おじゃましました。さようなら」とマンションを出てしまったのだ。
リビングの椅子に座り、「やあ」と手を挙げて応えてくださった笑顔が最後のお顔。
友人と、お父様がいらっしゃるならお花だけじゃなく甘いものを探してくるんだったわね…と反省して帰ったのだ。
お父様は会社の代表をされているので、お母様がお帰りになっていてもご一緒にお家にいらっしゃるのは珍しいことだから。
そのお父様が保証人のハンコを押して、事業に失敗した時の「転宅」。
羽振りがよかった頃の幼少時代に、大邸宅からいきなりの長屋暮らしをしなかればならなかった時を歌った曲だ。
おばあちゃんのわが子に言った言葉、「負けたままじゃないだろう」は、きっとまさしさんが「長江」で莫大な借金を背負った時にも、背中を押してくれたと思う。
その長屋での「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」。
お父様の思い出は、そのままご家族の思い出。
昔のステージトークや、エッセイに書かれていたエピソードが走馬灯のように思い出された。
その後は新しいアルバムから二曲。
そして「戦友会」「銀杏散りやまず」ではぐしゃぐしゃになってしまった。
「精霊流し」は今年の夏、まさしさんが出すお父様の「精霊船」。
生前に「長崎中の芸者を集めて船の前を歩いてもらう」と話していたように、まさしさんがその夢を叶えてあげそうな気がする。
そして最後は「生生流転」。
戦後、中国人として中国で生きたかもしれないお父様が「製作」された映画、「長江」の主題歌だ。
まさしさんの歌は渾身だった。
こんなにも美しく辛い「生生流転」は聴いたことがない。
もともとコンサートではあまり聴けない歌なのだ。
お父様に向けて、最高のはなむけだったと思う。
アンコールは「風に立つライオン」。
お父様が出会わせてくれた最高の友人だとか。
まさしさんも歌いきり、私達も聴き切ったコンサートだった。
わたしはいつも曲目と一緒に、MCのメモを取るのだが、今回はメモは取れなかった。
双眼鏡も持って行っていたが、一度も覗けなかった。
こんな風に、全身で聴いたコンサートは、初めて行ったまさしさんのコンサート以来かもしれない。
友人はご家族に近しく、お父様にも娘のように可愛がられていたから、数え切れない思い出がある。
コンサート中に、膝のバッグの中で携帯が震えた。
彼女からだというのは分かった。
hanamamaさんとコンサート終了後のビールを飲んでいる時、メールを開いた。
彼女は東京でのコンサートに行っていたので、その時の感想を送ってくれたのだ。
2月の「偲ぶ会」にも会社から招待されてニューオータニでお別れをしていたから、なおさらコンサートは心に染みたと思う。
まさしさん流の、ユーモアと暖かさに包まれた「偲ぶコンサート」だったが、もう誰の「偲ぶコンサート」もして欲しくないと思った。
笑いながら泣きながら聴いたコンサートは、時間を経るごとに深く大きくな感動が押し寄せてくる。
自分の祖父母や父を思い、ダイスケやナナコちゃんを思った。
「人って、死んでも生きてるんだよ。それが分かった。その人のことを覚えてる人の中で『生きてる』からね」
その後まさしさんはこう言った。
「だから若いファンを増やそうと思うんだ。それが一番長生き出来る方法だからね。若い人を連れて来るように!」だって。
次のコンサートは7月。
新しいアルバムの「予感」のツアー。
先日松坂屋で開催された「さだまさし展」でいっぱい本やCDを購入してきたから、暫くはさだまさし三昧。
友人と「やっぱり私達の『元気の素』はまさしさんよね」と話した。
もし「パグ」と「まさしさん」とどっちか一つにしなさいと夫に言われたら、迷うことなく夫を捨てます。
若~~い頃 まさしさんとレコード店で偶然出会って
上手い事言われて(笑)まさしさんのレコードを
買わされた事があったなぁ・・・
本当に 生きるという事は 人の想い出の中
心の中に残るという事かもしれませんね。
>迷うことなく夫を捨てます
↑
爆
まさしさんがいたから
ダイスケの母さんとも出会えました
私の『元気の素』もまさしさんです
mikikoさん
「レコード」時代ということは、随分前ですが、「若い」って小学生でしたか?
まさしさん、上手でしょう?
先日も「さだまさしの楽曲はいつブレークするか分かりません。新しいアルバムが出たら、とりあえず買うというクセを付けるように」だって。
「裁判官が一言言っただけで、大変なことになるんですから」。
「償い」のことを言っているんでしょうけど、因みにmikikoさんの買わされた、レコードは何の曲でしたか?
寒梅さん
そうだよね~。
「さだまさしさんが好きな人」で私達会ったんだもん。
いつか一緒にコンサート、行きましょう。
「きらきら号」で。
残念!小学生でなく いいお年頃です(汗)
買った(買わされた?!)レコードはライブの
2枚組みだったような・・・???
勤めてからは赤坂見附にあるまさしさんの
カフェの前の『まさし像』の頭を 通り過ぎる度に
ぺチッと叩いたりしてましたぁ。
お店はいつの間に閉店していて一度も入った事が
なかったけれど(何か初めてだと入りづらい感じ
でした)店内も面白いと評判でしたよ。
そうそう、何故か夫が『Birtheday』を聞きたいとCDを借り パグミの行き帰りの車内は さだまさし一色でした♪
mikikoさん
それは「1000回記念コンサート」のライブではなかったかと思われます。
今は手に入らないものですから、お手元にあったら、ネットオークションで高く売れますよ。
『Birtheday』はNHKの「家族に乾杯」のテーマソングですね。
ご主人様、まさしさんがお好きなようで祝着至極ですワ。
今は渋谷の「モンペトクワ」が営業しています。
駅からちょっと歩かなきゃいけないのが難点ですが、美味しいですよ。
「どんなに、せつなくても明日は またくるから
ながいながい坂道登るのは貴方一人じゃない」
この歌に励まして頂きました。
歌の題名 教えてください。
(歌詞間違えてたら ごめんなさいね)
直美さん
それは「奇跡~大きな愛のように~」です。
友人が、まさしさんが一曲だけ篤子さんのために歌ってくれるといったら、何をリクエストしますか?と聞いてきた時、「奇跡」と答えました。
背中を押してもらえる歌ですよね。
よろしければ、CDお貸ししますよ。
私も大好きです!
本当に背中どころか全身を押してくださった歌です。まさしさんに感謝です。
まさしさんは若い頃の苦労だけでなく、デビューして売れてからも苦労した方なので、「死んだ方が楽だ」と思う自分を励ましているのだと思います。
痛みを知っている人の言葉は、心に染みます。